人を殺したい
自分は死にたくない
自分は死にたくないが、一度試しに死んでみたい
そんな時人を殺したいと思うのかもしれない
今日は完全に哲学の気分である
例えば、言葉だ
言葉の意味を考える、と一言で言っても
これほど難しいことはないと私は思う
例えば、不誠実という言葉がある
不誠実という言葉の意味を辞書で引いてみよう
そうすると「誠実ではないさま」などと出てくるわけだ
では誠実の意味はというと「偽りがなく、まじめなこと。真心が感じられるさま」
となるわけである
結局のところ不誠実とは
偽りがあり
不真面目な事。
真心が感じられないさま
となると思うのだが
この不誠実なさまが良いという表現に出くわす場合がある
どういう場合かといえば、真面目であることは悪癖だ、とか
たまには手も抜かなければいけない、とか
極めつけは、人間不誠実なくらいがちょうどいい、などだ
不誠実という言葉そのものには、負のイメージしか無いにもかかわらず
文脈によって、「意味を変えずとも、イメージを変える」事が言葉にはよくあるという事だ
この言葉の意味を考える行為というのは
単に言葉の意味だけを考えるのではなく
その言葉の使われ方、イメージまでをも考えるという事に他ならない
これが簡単にできないから
一般人は簡単に言葉で人を傷つけるのだ
普段から意識することだ
私の話をすると、楽観的な性格は時にうらやましくもある
だが、やはり私は楽観的に生きる事が出来そうもない
他人からどう思われようが、その生き方では
私が私らしさを失うからだ
常に最悪を想定してしまうが、だからこそ、最悪が訪れたことはないし
この世にいいことなど何一つないと思って生きているが、それで沢山の幸せを感じるし
他人に期待などしていないが、他人からよく助けられる自覚がある
何より、丈夫な体を持ち、現に今を生きている
これ以上の幸せがあろうか
そんな「今生きている」という幸せを
自ら放棄したくなるほどの
強いストレスを感じる時
私は一体どうすればいいのだろうか
やりたくてもできないのか
やりたくないからやらないなのか
どちらにせよ
人間性を疑うレベルの害悪は俺の周りに存在することを拒絶したい
事象の拒絶ってやつだ
人間としてのレベルを数値化して表示する神の力が欲しいな
さらにこの数値によって、住む世界を完全に切り分けてほしい
弱者保護などと馬鹿な事ばかりのたまうクズどももいい加減目を覚ましたらどうなのか
強者のみがその遺伝子を後世に残し、より種として高みを目指すべきを何を馬鹿な事ばかりしているのだ
馬や牛に対してやっていることを、なぜ人間には適用しないのだ
害悪ども
死滅せよ