子どもの難問

図書館でタイトルの本を借りた

 

いろいろな哲学者の共著となっている

よしみっちゃん目当てで読んでみたが、最近のよしみっちゃんはつまらないなぁ

 

当たり前のことしか書いてくれなくなってしまった

目の付け所は相変わらずシャープなんだけど

 

でも、よく考えてみると、よしみっちゃんが変わったのではなくて

変わったのは僕の方かもしれない

 

よしみっちゃんが、当たり前の事を言ってくれるのは昔からそうだった

昔は僕の周りに、その当たり前の事を言ってくれる人がいなかったし

読んだり聞いたりすることもなかった

 

だから新鮮だった

 

つまり、新鮮味が薄れてしまい

慣れたということだ

 

5年前の僕は、よしみっちゃんの本があれば、あとは何もいらないと思っていた

わりとホンキで

 

今は違う

 

結局、何もいらない、と思っている

結局のところ、何もいらないと思っていても

普通に生きようとすれば

嫌でもいろいろなものを手にしていかざるをえない

 

昔は、世の中に対して「なぜ?」という気落ちでいっぱいだった

それは今もかも知れないが、僕の「なぜ?」という思いは、自らの内から湧き出る欲求ではない事に気づいた

 

本質的に、僕は何も考えなくても生きていけるという事だ

 

哲学者とはそこが違う

 

「いつか死ぬ」という問題について、正面から向き合ってはいるが

ただ向き合っているだけだ

 

なぜ人はいつか必ず死ななければいけないのか

 

この問題に答えを見出そうとは思ってはいても

 

それだけが、この世で真に向き合うべき問だとは思っていない

 

この世界には絶望しか無いと思いつつも

それでも僕は生きている

 

 

その生きる理由が

 

最近少しずつ

 

増え始めてきたような気がする

 

 

 

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